12. メートル単位を定義する
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前説まで長さというアナログ量の具体的な大きさを示す手段としてメートル及びセンチメートルという単位を使用してきたが、古代エジプト人はキュービットの制定を行った当時はこれらの単位を知らなかった。第10節で述べたように、古代エジプト人は太陽の南中高度が90度のとき測定した太陽迄の距離(実際は地球の半径)が不変固有の長さであることから、これが1000万キュービットとなる長さの単位を制定した。彼等は又太陽の南中における1年間の往復移動距離、即ち、Fig. 10.1のPQ(=半径1000万キュービットの円弧長45°L)の2倍の距離が不変固有の長さであるから、これを基準とした長さの単位が存在すると考えた。彼等はその単位をメートルと名付け、その移動距離を1000万メートルと定義した。これは太陽迄の距離1000万キュービットの半径の円弧長90°Lに等しく、第7節で述べたように、中心角1°の円弧長1°Lで測った半径は57°17'48"L、即ち、3600"Lの円弧長で測って206268"Lであり、これが1000万キュービットであるから、
1000万m=1000万Cubit×3600÷206268×90=15707720Cubit
故に、. . 1m=1.57Cubit. . 2Cubit=127cm. .
この定義は現代におけるメートル単位の定義と同じである。彼等の太陽迄の距離は地球の子午線の半径に等しく、その円弧長90°Lが1000万メートルであるから、子午線の長さは360°L=4000万メートルとなる。故に、1メートルは地球子午線の長さの4000万分の1となる。キュービットもメートルも古代エジプト人が定義したものであるが、彼等は大地が球体であることも地球が太陽の周りを回っていることも知らない。現代の科学者や考古学者は現代並の文明がなければこれは可能でないという前提に立って物事を考えるから、彼等は地球というものを知っていたし、現代並の文明があったに違いないと言うような議論が行われる。これでは古代文明は解明できない。彼等の立場に立って物事を考えなければならない。
13. 太陽とシリウスの関係
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古代エジプト人が太陽と共に最大の関心を持った天体はシリウスである。太陽とシリウスは4年に1度、太陽は東北東に、シリウスは東南東に同時に昇り、間もなくシリウスは消える。その間の3年は同時ではなく、各年の最初の日はシリウスを観測できない。彼等はこのときを1年の始まりと考えた。この時期は毎年起こるナイル氾濫の始まる時期に一致するので、彼等はシリウスは1年を周期として回転していて太陽が約1/4日ずれていると考えていた。彼等は1年をシリウスの回転数で表すことを考えたが、それは出来なかった。シリウスが太陽と同時に昇ったときから約半年は毎日シリウスが昇るのを観測できるが、後の半年は太陽がまだ西の空にあるため観測できなくなるからである。
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太陽とシリウス、及び地球の関係を簡単に図示するとFig. 13.1のようになる。記号Snは太陽及びその光線、Siはシリウス及び地球に到達するシリウスの並行光線、数字1は夏、2は秋、3は冬、4は春の地球、Pは日南中のエジプト、P'は夜中のエジプト、EはPから見た東、Wは西、Nは北極、Sは南極である。(a)は地球の公転軌道を北極側から見た図、(b)はそれを横から見た図である。 . .
地球は太陽の周りを図(a)のように公転し、その公転軌道を転がって進む方向に自転していて、自転軸は図(b)に示すように公転面に垂直な線に対してシリウスの方向に常に23°27'傾斜している。シリウスは赤緯−16°43'の方向、即ち、地球赤道面に対して16°43'南の方向にあり、太陽迄の距離を計測した北緯29°27'の地点を図のPとすれば、南中においてPの地面に垂直な線分に対し46°10'南の方向にある。従って、シリウスの南中高度は一年中一定で90°−46°10'=43°50'である。太陽が南回帰線にあるとき、Fig. 8.1により南中高度は90°−(23°27'+29°27')=37°6'であり、シリウスはそれより僅か6°44'高い位置を回転しているので、その回転は冬の太陽、即ち、Fig. 10.1のQとほぼ同じである。従って、地平線上に見える軌道の円弧の中心角は春、夏、秋の太陽のそれより小さい。又、シリウスの回転速度は太陽より早いので両者の関係に多くの興味ある現象が見られる。 . .
Fig. 13.1(a)において地球の公転を止めて1回自転すると、太陽及びシリウスが南中にある地球上の位置は東から西へ1回転する、即ち、両者はエジプトの大地を東から西へ1回転する。地球の自転を止めて太陽の周りを1回転すると太陽が南中にある地球上の位置は逆に西から東へ1回転し、シリウスが南中にある地球上の位置は動かない。従って、太陽がエジプトの大地を1年間に回る回転数は地球の自転数より1回少なく、それが365回と1/4であるから、シリウスの回転数は366回と1/4となる。故に、
360°÷365.25=0.9856°=59'8"
だけシリウスの方が1日の回転角度が大きい。太陽の視直径は約32'であるから、シリウスは1日に太陽二つ分先へ進む。 . .
太陽の上縁とシリウスが同時に東の空に現れたときから1年、即ち、365日と1/4日経過したとき、両者はエジプトの南中にあるがシリウスは見ることが出来ない。その日の日の出のときは太陽は1/4回転戻るからシリウスは更に太陽二つ分の1/4戻ることになり、シリウスは太陽の中心の位置にある。従って、太陽が半分現れたときシリウスが現れることになり、その明るさではシリウスは見えないであろう。2日目の朝、太陽の上縁が東の空に現れたとき、シリウスは太陽二つ分から太陽の半分を差し引いた高さにあり、太陽が昇ると消える。2年、即ち、730日と1/2日経過したとき両者は日の出位置から180°回転した位置にあり、その日の出のときは太陽は1/2回転戻るからシリウスは更に太陽一つ分戻り、太陽の下縁の位置にあるのでその日はシリウスを見ることができない。2日目の朝、太陽の上縁が東の空に現れたとき、シリウスは太陽一つ分高い位置にあり、太陽が昇ると消える。3年、即ち、1095日と3/4日経過したとき両者は日の出位置から270°回転した位置にあり、同様に、その日の出のときはシリウスは太陽の下縁より太陽の半分下にあるのでその日はシリウスを見ることは出来ない。2日目の朝、太陽の上縁が東の空に現れたとき、シリウスは太陽半分の高さにあり、太陽が昇ると消える。4年、即ち、1460日と1日経過したとき再び太陽の上縁とシリウスは同時に東の空に現れる。 . .
1年の終わりの数日間は、日の出のときシリウスは太陽より数個分下にあるので日中は見ることが出来ない。太陽の上縁(日の出時の下縁)が地平線に沈んだとき、シリウスの回転の中心はFig. 10.1のQとほぼ同じで地平線より下にあるため、シリウスは太陽より先に地平線に沈む。従って、その数日間は全くシリウスを見ることが出来ない。そして最初にシリウスが東の空に現れたとき、太陽の上縁が現れるのと同時なら4年周期の1年目の第1日である。太陽の上縁より太陽一つ半高い位置にシリウスがあれば2年目の第2日であり、太陽一つ分高い位置にシリウスがあれば3年目の第2日であり、太陽半分の高さにシリウスがあれば4年目の第2日である。太陽の上縁が現れるのと同時にシリウスが現れた年を1年は366日とし、次の3年を1年は365日とすれば、数日間シリウスが現れなくなってから最初に東の空にシリウスが現れた日が1年の最初の日で、太陽の上縁が現れたときの高さが4年周期の何年目かを表す。シリウスはこれらを表す指標である。
14. シリウスは月日を読む指標
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太陽は回転数、即ち、ある日から何日経過したかを数えることが出来るが、今何月何日かを読むことは出来ない。厳密にいえば、日の出の位置を計測すれば出来るのであるが、太陽が北上しているのか南下しているのかを見極めるのに最低1日を必要とする。太陽光線の作る影を読めば時刻を知ることが出来る。従って、太陽は時刻を読む指標である。一方、シリウスは月日を読む指標である。シリウスは前節で計算したように1日の回転角が太陽より59'8"大きいから30日では29°34'太陽より先へ進む。実際には、シリウスの回転の中心は大地より下にあり、観測点も回転面より遥か北方にあるから観測角度はもっと小さくなるが月だけでなくその月の何日目かを十分な精度で観測できるであろう。 . .
太陽の上縁とシリウスが同時に東の空に現れたときからこの観測を続けると、太陽が現れてシリウスが消えるまでのシリウスの軌跡は日毎に長くなり、約半年後、シリウスが太陽より180°先へ進んだ頃、太陽が西の地平線に沈むとシリウスが東の空に現れて一晩中観測できる。その後日毎にシリウスの現れる位置は高くなり、シリウスが現れてから西の地平線に沈むまでの軌跡は短くなる、即ち、シリウスの見えない東側の区間は長くなる。古代エジプト人はこれは太陽光線の作る影と同じであることに気が付く。影は朝は西方に長く伸び、正午に最も短く、午後は東方に長く伸びていく。そして、影の長さが最短の正午が1日の真中である。これから考えれば、シリウスの軌跡の最も短いときが1年の真中でなければならない。彼等はこのときを1月1日から7月1日ヘと変更した。 . .
プラネタリウム・ソフトによりエジプトのカイロ、北緯30°東経31°を観測点に設定して太陽とシリウスの運行を観測すると、2008年に太陽とシリウスが同時に東の空に現れるのは7月24日5時17分である。この日にちのずれは現在の太陽暦が太陽とシリウスが同時に現れるときを基準に設定していないからで、現在の7月24日は古代エジプトの7月1日である。これはプラネタリウムで太陽とシリウスの運行を更に詳細に観測することにより確認できる。但し、プラネタリウムは太陽とシリウスの大きさを正確に表していないのでそれぞれの中心点を比較して同時か否かを判断する。 . .
シリウスは1日の回転角度が太陽より59'8"大きいから日毎に太陽二つ分高い位置に昇ったとき太陽が現れて消える。そして、12月8日6時50分太陽が東の空に現れると同時にシリウスは西の地平線に沈む。この間は8+31+30+31+30+7=137日である。この日、太陽は16時45分に沈むが、シリウスが東の空に現れるのは20時15分である。シリウスの回転の中心は大地の下にあって裏の大地を回っている時間が長いので日没と同時にシリウスは東の空に現れない。最初に太陽とシリウスが同時に東の空に現れた7月24日の日没は18時47分であり、それから10時間30分遅れた翌朝にシリウスは東の空に現れる。この日没を基準としたシリウスの現れる時刻の遅れは日毎に短くなり、12月8日には日没後3時間半後にシリウスは現れる。 . .
この後、シリウスの現れる時刻は更に早くなり、1月23日17時15分太陽が沈むと同時に東の空に現れる。この間47日間はシリウスは東の空に現れてから西の地平線に沈むまで観測できる。この期間はシリウスの描く軌跡の長さは毎日同じであるから月日を読むことは出来ない。太陽の作る影も日没後は時刻を読めないのと同様である。 . .
この後、シリウスは太陽がまだ西の空にあるうちに東の空に現れるので太陽が沈むまで見ることは出来ず、日毎に高い位置に突然現れて西の地平線に沈む。その軌跡は段々短くなる。逆に、シリウスが東の空に昇るが日没前で見えない区間の長さは日毎に長くなる。そして6月7日18時47分シリウスは西の空に瞬間現れて太陽と共に西の地平線に沈む。この間、8+28+31+30+31+7=135日である。その後、シリウスは日毎に太陽二個分づつ太陽より先に沈むので西の空に見ることは出来ない。シリウスの回転の中心は大地より下にあり、この頃、太陽は東北東に昇り西北西に沈むので回転の中心は大地より上にあるため、シリウスの回転軌跡の大地より下の円弧長が太陽のそれよりずっと長く、シリウスは太陽より先に西に沈むが、先に東の空に昇ることが出来ない。従って、6月7日の後46日間はシリウスを見ることはできない。そして再び7月24日5時17分太陽とシリウスが東の空に現れる。 . .
シリウスが東に昇り西の地平線に沈む迄観測できる47日間の中間点は12月8日に23日を加えれば12月31日となる。その次の日が現在の太陽暦の1月1日である。6ヶ月後の7月1日は太陽とシリウスが同時に西の地平線に沈んだ後、シリウスを見ることのできない46日間の中間点になる。6月7日に23日を加えると6月30日となり、次の日が7月1日である。即ち、現在の太陽暦の基準点は古代エジプトの太陽暦よりも23日前に設定されている。従って、古代エジプト人が基準とした太陽とシリウスが同時に東の空に昇る7月1日は現在の7月24日であり、古代エジプト人が1年の始まりとした太陽が西の地平線に沈むと同時にシリウスが東の空に現れた次の日の1月1日は現在の1月24日である。彼等は更に古い時代には太陽とシリウスが同時に東の空に現れた日を1月1日と定め、太陽か沈むと同時に東の空にシリウスが現れた次の日を7月1日と定めていた。 . .
シリウスが東の空に現れて日の出により消える迄の軌跡の長さが日毎に伸びていく137日と、日没によりシリウスが中空に突然現れて西の地平線に沈む迄の軌跡の長さが日毎に短くなっていく135日は古代エジプトの7月1日で1年を二分したとき、2日程度の違いは各月の日数の違いによる誤差の範囲で日数、現象とも対称性がある。しかし、シリウスが東の空に昇り西の地平線に沈むまで観測できる47日間は1年の後半にしかなく、シリウスを見ることのできない46日間は1年の前半の終わりにしかないのでこれらの期間は対称性を欠いている。これらに対称性を持たせるために、両者を其々二分して1年の前半と後半に分けたのが現在の太陽暦である。古代エジプト人は対称性ということを重要視していたといわれる。それを考慮すればこの太陽暦の基準点の変更も古代エジプト人が行ったと考えられる。
15. 太陽とシリウスと神話伝説
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前節、前々節で述べたような内容を象形文字や古代エジプト文字で記述したらどのような文書になるだろうか。数字は簡単であるが、このような抽象的な事象の記述は極めて困難であろう。このような抽象的な事象の記述には既存の具体的な事象を記述する文字を暗黙の約束のもとに使用するか、多少変更を加えるか、全く新しい記号を考えて使用する。例えば、始まるとか、現れると言う現象を赤子を示す象形文字で表したとすると、全体の文章の意味を理解している者には正しく読めるであろうが、文章の意味も、数字の示す現象もその文字を解読できなければ分からなくなってしまった時代の者には赤子とか、生まれるとか読める程度で、その文章の意味は全く理解できないであろう。そして、その時代の権力者や学識者は自分に都合のよい記述に書き換えてしまう。このようにして古代の自然科学の成果は後世に誤り伝えられて神話伝説となる。 . .
大地は四角錐の四つの斜面と頂上を切り取った平面の五つの面からなっていて四つの斜面は既に海中に没しているという古代エジプト人の考えが、世界は四回滅んで現在は五回目の新世界であるとか、ナイルの氾濫と一緒になってノアの箱船の神話伝説を生んでいる。又、第一節では1日を四つの時刻に分けて1日の始まりを論じた一文が人間にスフィンクスが投げかけた謎々として伝えられていることを述べた。太陽とシリウスの運行に関する記述も又有名な神話伝説として今日に伝えられている。日本には七夕祭の風習があり7月7日の夜、1年に1度だけ牽牛星が天の川を渡り織女星に逢いに行くとされている。しかし両者共恒星であり、牽牛星が天の川を渡ることは無い。1年に1度、天の川を渡るのは太陽であり、逢いに行くお相手はシリウスである。 . .
現在の太陽暦の7月24日に太陽とシリウスは同時に東の空に現れるが、このとき太陽は天の川の北岸、東北東に、シリウスは天の川の南岸、東南東にある。間もなくシリウスも天の川も消えるが両者は太陽とほぼ一緒に回転するので太陽と天の川の距離は変わらない。日の出の位置は日毎に南下するが、シリウスも天の川も日毎に高い位置で消え、天の川の下方が南方に弯曲しているので太陽は日毎に天の川北岸より離れていく。 12月8日太陽が東の空に現れると同時にシリウスは西の地平線に沈み、 天の川はシリウスのすぐ上に横たわっていてシリウスと共に沈む。この後、47日間は太陽が昇る前に天の川もシリウスも西に沈んでしまうので太陽と両者の位置関係は観測できない。 . .
1月23日、太陽が西に沈むと同時にシリウスが東に昇り、天の川はシリウスの北側から太陽の沈んだ位置の北側へ虹の様にかかっている。即ち、太陽とシリウスは東西に大きく隔たった位置にいるが、太陽は天の川を渡り、シリウスと同じ天の川の南岸にいる。その後、太陽が沈んだときシリウスが現れる位置は日毎に高くなり、南中に達した後は西側に低くなり、太陽とシリウスの距離は縮まっていく。この間、天の川はシリウスのすぐ上から太陽の沈んだ位置の上にかけて横たわっている。即ち、太陽は天の川を渡ってから日毎にシリウスに近づいて行くのである。しかし、6月7日に太陽とシリウスが同時に西に沈んだとき、太陽は西北西に、シリウスは西南西にあって、その後46日間はシリウスを見ることが出来ないので両者の関係は観測できない。 . .
7月24日、再びシリウスが東の空に昇ったとき、間もなく太陽も昇るが、太陽は天の川を渡って北岸に戻っている。このときの太陽とシリウスの距離は46日前に両者が同時に西に沈んだときの距離とほぼ同じである。従って、太陽はこの中間日、7月1日にシリウスと出会ったと古代エジプト人は推定した。当時、彼等は太陽とシリウスが同時に東に昇る旧暦の7月1日を新暦の7月24日と定めたので、その旧歴では太陽とシリウスが出会うのは6月7日である。彼等は新しい歴を定めるに際して、太陽とシリウスが同時に昇る日を基準にするのではなく、太陽がシリウスに出会うと推定される6月7日を新たに7月1日と定めるべきであるという提言を両者の観察記録と共に記した。それが誤り伝えられて7月7日に牽牛星が天の川を渡り織女星に逢いにいく伝説となったと考えられる。 . .
イエス・キリストの生誕と処刑、復活の神話も太陽とシリウスの関係の観察記録に極めて良く似ている。Microsoft Officeの国語大辞典(新装版)©小学館 1988にはその生涯の概略を次のように記述している。少年時代をナザレで過ごし、三〇歳頃洗礼者ヨハネから洗礼を受け、荒野で四〇日間サタンと戦ってこれに打ち勝つ。のち、ガリラヤの野で多くの奇跡を行ない、神の国の近いことを説き、悔い改めて福音を信ぜよとすすめ、ユダヤ教の学者やパリサイ人(びと)を激しく非難する。エルサレムに入城した時、十二人の使徒のひとりユダに裏切られ、ゴルゴダの丘で十字架にかけられた。しかし、預言通り死後三日目に復活し、四〇日を経て弟子たちの面前で昇天した。 . .
古代エジプト人はシリウスを女神イシスと同一視していた。イシスとイエスは良く似ている。彼等は最初、太陽とシリウスが同時に昇る日を1年の最初の日、1月1日と定めた。これがイエス・キリストの誕生に変わった。以下の日付はこの日を基準とする。イエス・キリストの生誕の時現れたという大きな星とは太陽であり、シリウスが昇ったとき同時に太陽が昇ったというのが原文であろう。シリウスは恒星の中で最も明るい星であり、暗闇に光明をもたらすもの、即ち、救世主に例えられたのである。137日後太陽が昇ると同時にシリウスは西に沈み、それから47日間は太陽が昇るより早い時刻に西に沈むから、対称性から考えれば太陽が西に沈むと同時又はそれより早い時刻に東に昇る筈なのにそうならない。これはシリウス(イエス・キリスト)がサタンと戦っているからであり、その遅れは日毎に短くなり、ついに太陽が西に沈むと同時に東に昇る、即ち、戦いに勝ったと例えたのである。サタンのヘブライ語の原義は敵、迫害するものであり、日中はシリウスを見ることが出来ないから太陽はシリウスが現れるのを阻止するもの、即ち、サタンである。ここに、太陽を神とする宗教との敵対的な対立の原因がある。137日は人間の年齢に変えるには数値が大きすぎるので1を取り、7は丸めて30才の頃とし、47も丸めて40日間のサタンとの戦いとしたものであろう。 . .
イエスとイヤー(年)も良く似ている。1年は12の月から成ると言う記述がイエス・キリストの十二使徒となる。その11月15日頃に太陽とシリウスは同時に西に沈み、以後46日間シリウスを見ることができない。1年を365日とすると、2年目の初日、3年目の初日、4年目の初日の三日はシリウスを見ることが出来ない。この三日は各前年のシリウスを見ることの出来ない期間の最後の日、即ち、各前年の12月の最後の日であるべきなのにそうしなかったからである。これが十二使徒による最後の晩餐と12月、即ち、通常12番目に列挙される使徒イスカリオテのユダの裏切りによるイエス・キリストの処刑、死に対応する。最初の年を閏年366日とすればこれらの三日は各前年の最後の日になり、2年目の初日、3年目の初日、4年目の初日の三日は太陽が昇る直前にシリウスを見ることが出来るようになる。これが処刑の三日目のイエス・キリストの復活となる。4年目の11月半ばにシリウスを見ることが出来なくなってから46日後の5年目の1月1日に太陽とシリウスは再び同時に東の空に昇る。これが復活後40日を経て弟子たちの面前で昇天したとなる。46日の端数は切り捨てて40日に丸めたのであろう。実際の神話はもっと尾鰭が付いているが、ストーリーの骨格は太陽とシリウスの関係の観察記録と全く同じである。
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